1979年。
ノーザンダンサーの直仔として日本に導入されたノーザンテースト。1982~1992の10年間リーディングサイアーの座を守り続けた日本では名種牡馬である。
ノーザンテーストから22年リーディングサイアーとなったディープインパクトまでのリーディングサイアーの歴史を紐解いてみる。
まさに万能!日本初の大型種牡馬
ノーザンテースト
この時代は日本は競走馬の墓場、種牡馬の墓場といわれた時代だ。
シリウスシンボリなど、日本では稀代の名馬といわれた競走馬が海外に遠征しても、勝てるどころか、完膚なきまでに叩きのめされる図を何度も見てきたのだ。
1980年代に入るまでの間で、日本産種牡馬でリーディングサイアーを取ったのは1950年代に活躍したクモハタのみ。
そのクモハタも次世代につなげるような名馬は輩出できなかった。
このころは基本的にイギリス出身の種牡馬が導入されるとリーディングを取る時代。
ノーザンテーストが現れるまではテスコボーイがリーディングを4年連続獲得していた。
そのテスコボーイもリーディングを取っている時点では次世代につながるような名馬は輩出していなかったのだ。
(その後、サクラユタカオーを輩出。そのサクラユタカオーはサクラバクシンオーを輩出そのサクラバクシンオーはショウナンカンプやビックアーサーというスプリンターを輩出、また母父として、稀代の名馬となり、名種牡馬になりつつあるキタサンブラックを輩出している)
そんな時代に社台グループが日本に持ち込んだのがノーザンテーストだ。
ノーザンテーストはカナダで生まれ、社台グループに購入された。フランスで競走馬として活躍した。社台グループは、ノーザンダンサー直仔で種牡馬になりえそうな馬として、ノーザンテーストに目を付けたのだった。
フランスのG1を勝ち、4歳で日本に種牡馬として来日した。
ダイナガリバーやダイナアクトレス、アドラーブル、アンバーシャダイなど、牡牝問わず、長短距離問わず活躍馬を輩出し続けた。
10年連続リーディングサイアーも日本競馬界では初であった。
当時はノーザンテーストをつけておけば間違いないくらいの感覚で、いい肌馬だと思われればノーザンテーストをとりあえずつけておくみたいな勢いがあった。
種牡馬としては、アンバーシャダイを輩出。そのアンバーシャダイがメジロライアンを輩出しそのメジロライアンがメジロドーベルとメジロブライトを輩出。
しかしながらそのメジロブライトが種牡馬としては大した成績を残せなかった。
2023年の日本競馬ではノーザンテーストの血は種牡馬、父系統としてはもはや途絶えてしまっている。ただ、父系統は残っていなくとも、母の父系統や、枝にはノーザンテーストが色濃く残っており、インブリードなどで今後も目にする機会は多いだろう。